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MIDOsan (御堂さん)5月号 ~翠光堂仏壇店~

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浄土真宗本願寺派の月刊誌「御堂さん」5月号に、なんと翠光堂淡路駅前店の岡本店長が!!

『P20 聞法(もんぼう)』のコーナーに「腑に落ちた真宗のみ教え」という表題の記事を掲載して頂いております。

以下に記事内容をご紹介します。
[腑に落ちた真宗のみ教え]

五十歳前の得度

 早いもので、得度して四年が経ちました。私の実家は、もともとは臨済宗でしたが、祖父が天理教に改宗したため、私が子どものころは、天理教の人がお参りにきていました。

仏教との関わりはほとんどない生活でしたが、仏壇店に就職し、また、母親が亡くなったのを機会に、父が臨済宗に戻ったこともあり、関心を持つようになりました。

仕事柄、いろんな宗派のお寺さまと知り合いました。そんなあるとき、真宗佛光寺派のご住職から、お寺の手伝いをと誘われ、それがご縁で得度したのです。年齢も五十歳前で、なんでお坊さんになるのか、妻も子どもも、周りの友人も驚きました。私自身は不謹慎ですが、仕事の役にでも立てば良いかというくらいの気持ちでした。

しかし、お寺の仕事をお手伝いさせていただいているのに、あまりにも仏教や真宗についての知識がないことに申し訳ない思いがして、本などを読み始めました。それでもなかなか頭に入りません。仏教学や真宗学が学べる学校に行くにも、サラリーマンで時間が取れません。

どうしたものかと思いを巡らせているうちに、やはり真宗は聞法の宗派、お聴聞させていただくのが一番勉強になるのではと考え、宗派を問わず真宗寺院の常例法座や法要にお参りさせていただくようになりました。

日々感謝して

  元来図々しいので、場所を調べては知らないお寺さまにもうかがいました。驚かれたことは何度もありました。春の永代経や秋の報恩講の時期には、お寺さまに順番にお参りし、気がつけばひと月ほぼ毎日、ときには昼夜掛け持ちでお聴聞しました。

そんなある日、いつものように法話を聞いていたときに、ふと「ああ。真宗のみ教えは、こういうものか」と頭で理解するというより「腑に落ちた」という感覚になりました。しかし、聞けば聞くほど、いままで自分が歩んできた人生は、いかに自分中心で身勝手なものかと知らされる毎日です。

多くの人に支えられていたのに気がつかず、感謝もせずに、あたりまえのように生きてきました。

このような自分の影の部分を、照らし気づかせていただき、本当の自分の姿を示してくださる仏さまのおはたらきによって、生きる道標を得ることができました。

凡夫の私には、分かっていても思い上がったり、怒ったり、真実に背いた生き方しかできません。そんな私でも、阿弥陀さまの本願力のおはたらきによって、真実に気づかせていただきながら、必ずお浄土へ参らせていただける確かなものを得て、かけがえのない命を育みながら、日々感謝し、お念仏の人生を歩んでいきます。